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最近、本当に物忘れがひどい。
同じ話ばっかりするおっさんを不思議に思っていたが
まさに,今、自分はその状態なのではないかと思って自省する。
特に困っているのが、ブログネタである。
前に書いたかどうか、そのネタを憶えてないのだ。
まあ、とるにたらぬネタだし、
第一に、誰も憶えてないのだから
何度書いてもいいのではないのか。
そんな開き直りを受け入れ、
場しのぎに、書いておこうかと思う。
子供の時に勘違いしていた素敵な間違いシリーズ。
1)小学生の頃、動物図鑑を見ていて、ライオンのところに
ひらがなで「シマウマなどをこのんでたべる」とあった。
今ならよくわかる。このんでとは「好んで」のことだろう。
しかし,小学生の私は、このんでを「軽く呑むように食べる」と解釈した。
きっと大好物だからよく噛むのももどかしく、丸呑みに近い状態で
「このんで」食べるんだと。
その「このんで」の表現、ずっと好きで、
今でも敢えて良くて使っている。
私はカレーライスをこのんで食べる。
焼肉だったらハラミをこのんで食べる。
なんとなくボキャブラリーが豊かになった気がするではないか。
2)「亭主」を「天使」と思っていた。
ドラマでよく「俺はお前の亭主だ」を「天使だ」と言ってるもの
と思っていた。「亭主にもかってよくも・・・」を
「天使にむかってよくも・・・」と言ってると思っていた。
天使って面か?とも思っていたが。
「俺はお前の天使だ」で充分意味通じるし、
とても愛のある素敵な言い回しではないか。
いまでも嫁に言っている。
俺はお前の天使だ。・・・
どうも通じないようだ。
3)最後に小学2年生の万博。1970年EXPOだ。
世の中も、自分の頭の中もほとんど万博でいっぱいだった頃、
天気予報で「海上は風が強く・・・」と解説してるとき、
万博会場の「会場は風が強く・・・」だと思っていた。
さすがに丁寧に万博会場の天気を伝えてくれるのだなと
子供心に感心していた記憶がある。
どうでもいいけど人生、素敵だなと思える瞬間でもある。
どうにも愛にあふれているではないか・・・
こんな愛にあふれたこと何回話してもいいのでは?
同じ話ばっかりするおっさんを不思議に思っていたが
まさに,今、自分はその状態なのではないかと思って自省する。
特に困っているのが、ブログネタである。
前に書いたかどうか、そのネタを憶えてないのだ。
まあ、とるにたらぬネタだし、
第一に、誰も憶えてないのだから
何度書いてもいいのではないのか。
そんな開き直りを受け入れ、
場しのぎに、書いておこうかと思う。
子供の時に勘違いしていた素敵な間違いシリーズ。
1)小学生の頃、動物図鑑を見ていて、ライオンのところに
ひらがなで「シマウマなどをこのんでたべる」とあった。
今ならよくわかる。このんでとは「好んで」のことだろう。
しかし,小学生の私は、このんでを「軽く呑むように食べる」と解釈した。
きっと大好物だからよく噛むのももどかしく、丸呑みに近い状態で
「このんで」食べるんだと。
その「このんで」の表現、ずっと好きで、
今でも敢えて良くて使っている。
私はカレーライスをこのんで食べる。
焼肉だったらハラミをこのんで食べる。
なんとなくボキャブラリーが豊かになった気がするではないか。
2)「亭主」を「天使」と思っていた。
ドラマでよく「俺はお前の亭主だ」を「天使だ」と言ってるもの
と思っていた。「亭主にもかってよくも・・・」を
「天使にむかってよくも・・・」と言ってると思っていた。
天使って面か?とも思っていたが。
「俺はお前の天使だ」で充分意味通じるし、
とても愛のある素敵な言い回しではないか。
いまでも嫁に言っている。
俺はお前の天使だ。・・・
どうも通じないようだ。
3)最後に小学2年生の万博。1970年EXPOだ。
世の中も、自分の頭の中もほとんど万博でいっぱいだった頃、
天気予報で「海上は風が強く・・・」と解説してるとき、
万博会場の「会場は風が強く・・・」だと思っていた。
さすがに丁寧に万博会場の天気を伝えてくれるのだなと
子供心に感心していた記憶がある。
どうでもいいけど人生、素敵だなと思える瞬間でもある。
どうにも愛にあふれているではないか・・・
こんな愛にあふれたこと何回話してもいいのでは?
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