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最近あまり見なくなったのが、自転車の手放し運転。
さすがにそういう環境ではなくなったのか
本当に見かけない。危ないしね。
自転車のハンドルから両手を話して運転するのを
「手放し」といっている。念のため。
それでも,見通しの良い一本道とか車のの少ない田舎道などでは
いきった奴がたまにやってる。
私も小さい頃、よくやっていた。
いきっているというよりも、車もなく広い道を走ってると
ついついご機嫌な気分になってやってしまうのだ。
ヒャッホー!
「手放し」はいいのだが、大切なのはその放した両手の「やりば」である。
そう、手持ち無沙汰なのである。
いきってやったはいいものの、放した両手に「てれ」は隠せない。
腕組みする・・・うーんなんか固いな。せっかく自由な開放された気分なのに。
両手を広げる・・まるで重心とってるようでださいでしょ。二人ならタイタニックだが。
髪の毛をかきあげる・・・自転車乗ってて説得力がない。悩んでる感がある。
手をたたく・・・アホまるだし。猿。
ルービックキューブする。・・・そこまで器用ではない。
太ももに手を置き、こぐ足の補助をする・・・ハンドル握ったほうがいいのでは。
眼鏡を丁寧にふく・・・本当に危ない。
結論を言えば、「そんなに手持ち無沙汰ならやらなきゃいいのに」なのだ。
いやいや自転車の「手放し」によく似た光景を最近目にしたので
思い出しただけなのだが。
先日、セルフのガソリンスタンドに生き、給油していたところ、
店員が寄ってきて、「洗車はいいですか?」とか
「オイル点検いいですか?」とかいいつつ
私が給油してる間中、その店員はずっとそばで立っていたのである。
まるで「何かお手伝いできることありますか?」みたいな感じで。
思わず、
「できたらこの給油ホース、持っててくれないかな?その間にトイレ行きたいので」
または
「私のかわりにトイレ行ってきて、用を足してきてくれないかな。給油してるから」
と言いそうになった。
手持ち無沙汰なんだな!
手持ち無沙汰なんなら給油してくれよ!
これが本末転倒の「手持ち無沙汰」だ。
とこの時に、自転車の手放し運転思いだしたということだ。
ついでに言うと駐車場の出口で自動精算機あるのに
そばに立って親切にお金を機械にいれてくれるおっさん。
いいのだが、「レシートいりますか?」っていちいち聞くな。
必ず渡してくれよ。
「すいません、ください。」
て言うこの会話が無駄のようで、機械ならこの会話はないのに。
手持ち無沙汰の人へ
本当はもっと握らなきゃいけないものがあるのではないのか?
両手でハンドル握ってれば、手持ち無沙汰にはならないものだ。
私は、いま手持ち無沙汰ならゴルフの素振りをするかな。
映画も好きだが、映画の話も好きだ。
映画の話をするにあたって注意している事がある。
自分なりのしばりである。
それは誰かが「この映画がおもしろかった」と
言っていれば自分では面白くないと思っていても
決して否定しない事だ。
その人が面白いと言っているのだから
そこに嘘も偽りも計算もないからだ。
食べ物がおいしいとかまずいとかにも
同じ事が言える。
その人の味覚で感じてるのだから否定しようがない。
ただし、甘いを辛いと言ったり、
辛いを甘いと言っていれば,命をかけて否定を試みるべし。
映画でもロバート・デ・ニーロのことを
アル・パチーノと言ってれば
そこは、少なからず否定しておきたい。
間違ってるんだから。
しかし、そんなことはともかく
今回、言いたい事はそういうことではない。
もしかしたら以前にも同じようなことを
このブログで言っているのではないか?
居酒屋でも初めて言うがごとしで
しょっちゅう話しているのではないか?
しかも同じメンバーに。
それが気がかりなのである。最近。
昔、年寄りってなんで同じことを
話するんだろうと思っていたが、
現実に今、自分がそこに直面している。
クライシス!
同じ話を聞いた場合、たいてい
またかと思いながらも黙って聞くのが日本人だ。
血縁関係が濃かったり、配偶者などはきっちり
「何度も聞いたよ」とにべもなく言ってくれるからいいが
他人はそうはいかぬ。
どこかで見た広告コピーを
まるで自分で考え出したかのように
提案してしまう老コピーライターはもうこの世界を去るべきだ。
どこかで見たという記憶の力がもうないのである。
現に私は目の当たりにして、唖然としたことがある。
えーと、この話もしたかなあ。
なんで同じ話を繰り返すのか?
わかりかけてきた事がある。
それはあまりにリアクションがないから
つまり何度も言ってしまうんだよ。
いずれにしても
あんまりうだうだ言わない事だ。
年寄りは気をつけよう。
人間、疲れた感じはどこから漂うか?
そう,無精髭をはやしてることだ。
髭を普段はやしている人も、はやすべきところ以外の無精髭は
毎日剃るのが当たり前。トリミング作業だ。
無精髭は疲れた感じだけでなく、何かに追われた感じがするので要注意。
例えば、「金」とか「警察」とか「時間」とか・・・
決して「俺って渋い?」なんて思うなかれ。
外人モデルの一見無精髭風のびかけ髭は決して無精髭ではない。
あれはあれで手入れされた完成形なのだ。
顔の作りも関係して、ずるい髭ではある。
素人は真似してはいけない。
無精髭していいのはラテン系のサッカー選手と
西部劇のながれ者とならず者だけ。
その他で疲れた感じに見えるのは
眼鏡が汚れている。
髪の毛につやがない。
肩にふけ。
襟元汚れている。
靴汚い。
歯垢がたまっている。
財布が領収書でパンパン。
車の内外が汚い。
靴下に穴があいている。
女性の場合、ストッキングの下で渦巻くすね毛?
いや、これは逆に元気溌剌、精力的な感じがする。
こうして考えてみると、まるで俺?
しかしSchick、HYDROのカミソリのCFに出ているウエンツ瑛士!
お前のようなツルツル肌の男が「剃り残しなし!」なんていったって
説得力ないんだよ!髭はえんへやろ!
休みの日に思いっきり無精髭伸ばし切って
次の日に剃ると深剃りできて気持いい。肌もウエンツ並みにつるっつる!
肌も一日くらい休めてあげないとね。
しかし、休みがなければ無精髭も伸ばせないけどね。
世の中は言い方一つだ。同じ意味でも表現が変わるだけでトゲが出たり、和みがでたり。
例えば、「鼻くそほじる」を「鼻そうじ」という。
「耳くそとる」を「耳そうじ」
「水虫の薬塗る」を「足メンテ」
「さぼり」を「命の洗濯」
「一服」を「ひとり打ち合せ」
「身に付かない習い事」を「自分磨き」
「あてのない放浪」を「自分探し」
「全く考えてない」を「今、考え中」
「少し考えてた」を「一晩徹夜して昼寝して考えた」
「忘れた」を「ど忘れした」
「居眠り」を「長いまばたき」
「すうどん」を「きつねうどんきつね抜き」
聞いてます?の答えの「はい。」を「はいはいはいはい!」
「天王寺」を「大阪の上野」
「日本橋」を「大阪の秋葉原」
「レベルが違い過ぎる!」を謙遜して「ラベルが違うかな」
「ひねた」を「大人の階段のぼり切った」
「やる気ない」を「今、そのモードじゃない」
「また次お願いします。」を「二度と連絡してくんな」あれ?入れ替わった。
「いい加減」を「適当」あれ?変わってない。
「いい加減」を「いい意味でいい加減」こういう言い方を適当という。
「面倒くさくなってきたし、なかなか落としどころが見つからないのでこの辺でやめる」を
「このネタおもしろいからまた次回に続けます」
車運転する人ならわかると思うけど、
原チャリとか自転車って邪魔だ!
ワンサイデッドな意見で申し訳ない。でも毎日思う。
奴らにはかなりヒヤっとしたり、イラっときたり
「ワ〜オ!」と外人みたいに仰天してみたり
「セーフ!」と言いいながら冷たい汗流したり。
なぜなのか?
奴らは縦横無尽に来るからだ。
そして、みな個性的で、いつどうくるかわからないところに
四輪のドライバーは悩まされる。
それでなくても四輪のドライバーは
街を走る際、様々なものに注意をしなければならず
疲れてしょうがない。
急に飛び出す子供。
そうボールが出てくりゃ、次は子供だ。実に簡単な法則。
信号のない横断歩道を止まりそうな速度で渡るおばあちゃん。
一応前に進んでるようだからゆっくり待とう。動物と思えば腹も立たん。
動物ならかなり利口な動物だ。引き返さず前に進んでいる。
うしろ姿が素敵なミニスカねえちゃん。
ちゃんと肉眼で確認すること!安全なドライバーはなにごとも見逃さない。
ただし、振返ってまで見続けるな!危ないから。電柱に邪魔されるな。
神出鬼没のおまわりさん。
おちおち携帯電話もできないのか!電車の中も車の中も使えないんだったら
携帯の意味ないだろう。さらにスマフォは運転中使いづらいぞ!仕事の邪魔すんな!
というようなことは言っちゃだめで、見つかるより先に見つけよ。
新しいラーメン屋。
いつの間にこんな所に?というようなラーメン屋ができてたり、
えっ!もうつぶれた?というようなラーメン屋であったり、
せめてお名前を!の屋号が読みにくいラーメン屋。困る。
いやいやちょっと横道それそうだから
まとめに入るけど、よろよろ走るおばちゃんバイクって
抜かしてもまた信号で追いつかれる。結局こちらは
いらいらしっぱなし。一応道路交通法は守っているのだが
実は危ない運転、人にやさしくない運転だ。
その点、「にけつ」で「ノーヘル」のヤンキー原チャリ。
赤信号で交差点つっこんでいく奴ら。
彼らは実は超安全運転だ。二人の4つの目で、右左を
交互に確認しながら、自動車に気をつけて走り去る。
自らの存在をアピールするように大きな爆音で人を思いやる。
事故ったら120%自分らが悪いので絶対事故らないように細心の注意する。
四輪が赤信号で止まっている間に、どこかに消えていってくれるやさしさ。
それは何よりも自分らが悪いとわかっているからなのだ。
なによりも自己を知ること。
これに限る。
それが事故にならない虎の巻。
車も人も自転車も原チャリもみな人間。