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映画はつくづく「落語の三題噺」に似ている。
三題噺とは客席からお題を3つ出してもらい
即席でそのお題を折込んで噺をまとめる落語である。
映画でいうお題とは、シーンのことである。
このシーンとこのシーンとこのシーンは絶対いれて
誰々主演のアクションコメディを作れ。お色気は抜きで・・
例えば、「まわりを巻き込むカーチェイス」「爆発」「飛び降りる」
を必ず入れたブルース・ウィリス主演のダイ・ハード5という風に。
誰がお題を出すのかというとプロデューサーで、
誰が噺を作るのかというと脚本家である。
そして誰が即興でまとめるのかというと監督である。
プロデューサーは売れるキーワードを並べて金を少し出すか
いっぱい金を出す人を探してくる。
脚本家はマゾ気分で自らハードルを上げてまで体ぼろぼろにして
脚本づくりに挑む。
そして監督は現場主義のもと予算と脚本を大幅に無視してノリで突き進む。
ヒット作はこの三人の仕事に、何かのエッセンスが
さらなる微妙な科学反応を自然に起こして
結果、奇跡の作品に仕上がるのだろう。
そのエッセンスが実は一番難しいのであって
なんなのかはわからない。魔法とも呼ぶ。
プロデューサーの確信する三題噺だけでは
ヒットしないのであろう。
残念だが
「ダイ・ハード ラストディ」はまさしく
そのエッセンスがぬけている。
「ダイ・ハード」や「ダイ・ハード2」には
かろうじてあったエッセンス、それは「ドラマ」だ。
立場が違う人間同士の行き違い、戦い、心の動き、それがドラマ。
アクション以上に派手なドラマがあった。
それがなければ、いくらカーチェイスガ派手でも
必然性が希薄になる。観客はウツラウツラしてくる。
主人公のジョンマクレーンは1や2では
始終、「部外者が顔出すな」と
言われ続けている。敵以外の敵が多くて思うようにいかない。
その反動が後半のカタルシスに効いてくる。
そのドラマが今回は少ない。誰にも注意されない、
やりたい放題。親子揃って目に狂気が走っている。
しかし、撮影は「ダイ・ハード」シリーズだと言えば
三題噺もくそも、エッセンスも何もいらない。
スムーズに誰もがノリノリで協力してくれるに違いない。
国も行政も映画会社も軍隊も・・・
これが「ネームバリュー」という奴だ。
「ブランド」の「フォーマット」で
いけるところまでいくべし。
稼げるだけ稼ぐべし。新人も乗っかれ!
フォーマット作った奴が一番偉い!
ただし、「イピカイエー マザーファッカー」
の決めセリフは是非とも三題噺に入れてほしかった。
えっ?入ってた?
ほとんど寝てたから気がつかなかった。