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若い奴を怒る頑固親父がいなくなったと言われている。
子供とか若者を「コラーッ!」と怒るオヤジだ。
だから、今の若者はだめだと。世の中がぬるくなってだめだと。
本当は違う。
おやじを一括する年寄りがいなくなったのだ。
いよいよ日本も高齢化社会に入っている。
電車に乗れば誰に席を譲っていいやら
年寄りであふれかえっている。
その年寄りもかなりな「若作り」から
ちょいワルじじい、疲れ果てた壮年、
達者なよぼよぼまで、
バラエティーに飛んでいる。
見た目だけでは歳はわからない。
へたに席を譲るとそれこそ怒られそうな気もする。
高齢化社会になると、逆に年寄りが目立たなくなり、
存在意義もなくなったのか?
わからないことは長老に聞け!
が、「ネットで調べる」に取って代わった。
だからオヤジがのさばる。
さぼる。
ダメになる。
オヤジにカツをいれる年寄りがいなくなった。
ずっと政治の世界でも、財界でも表舞台にいる人間たちを
しっかりと支配している年寄りたちがいてると思ってた。
老害と言われようが、はたまたフィクサーと呼ばれようが
しっかりと組織をあるいは国をつくっていた年寄りだ。
今はもういない。
存在が許されなくなったのかもしれないが
いずれにしても、そういう年寄りは生きる場所がなくなった。
私たちオヤジ世代はどうやって嫌われものの
年寄りになれるかを模索しないと、世の中は終わる。
寿命が延びて
死が遠のくと人はどうなるのか?
年寄りが多くなって年寄りがいなくなる。
わかったようなわからないような。
大学時代に書いた短編小説にこんなのがある。
ある親子の旅人がある国に迷い込んだ。
道行く人々は生気がなく、どんよりとしている。
街もすす汚れて、活気がない。
子供は父親に言う。
「この国はまるで生気がなく、死の国みたいだね?」
父親は答える。
「いや反対だよ。ここは死がない国なんだよ。」
死がないと「しがない」をかけてるわけではない。
そういうと戦中、戦後の生きるか死ぬかの時に
一考を案じた奴は、元気よく活躍して、
その後、うるさい「年寄り」になった。
定年を迎えて第二の人生もいいけど
小さくまとまらず、
この第二の戦後ともいえる世の中の変換期で
スペシャルな活路を見いだしたいもんだ。
・・・IT以外で。