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疲れがひどいのか、記憶力が弱くなってしょうがない。
黒いトイレットペーパーを使ったことがあるだろうか?
黒いペーパーか、ふーんと思いながらも
用を足して、黒いペーパー使って、僅かにズボンをあげる時間だけなのに
振返って便器の中を見ると
びっくりする。
黒いものが、便器の中に漂う姿が
それはもう、インパクトがある。
まるで自分の体から出てきたものかとヒヤリとする。
その黒いペーパーは外国製で
水に解けにくいせいかもしれない。
やけに、四角い形状のまま、便器の真ん中を
ゆら〜りと漂っているのである。
いつかのイカスミの時とはまたあきらかに違う
漂い方だ。
黒いペーパーの部分はまるで深い闇なのだ。
「便器の中にブラックホールができた!」
とおもってしまうのである。
10回中、10回驚いている。
ズボンをあげて振返るほんのわずかな時間の中で
もはや、黒いペーパーを使った事を忘れている。
この事実もかなりショックなのだが、
記憶の問題というよりも
固定観念はなかなかとれないということなのか?
話は少し変わるが
黒い綿棒はとてもいい。
汚れがわかりやすい。
あとは黒いティッシュペーパーつくってくれないかな。
久しぶりの
リハビリがわりのブログでした。
最近、つくづく思うのは
つまり、
小便がちゃんと出て
大便もきっちり出て、
夜、しっかり眠れて、
朝、目覚まし時計より5分早く目覚めて、
昼、わずかな昼寝ができ、
肩、腰、足、頭、首、など特に痛いところもなく、
内蔵の調子もすこぶる良く、
適当な時間になると腹もへってくる、
そしてビールを飲んでうまい!と思える。
人生これだけで充分幸せと感じる。
それだけで幸せではないか、例え何を食べても
おいしく感じられるし・・・
・・・だが、しかし、食べ物で最近わかったのだが、
私にはどうも口にあわないものがある。
それは「ゴーヤ」だ。
別名「苦瓜」って、あれは食べ物ではないと断言する。
ゴーヤはエコカーテンであってヘチマと同じく
食べるものでなない。
昨日の我が家で夕飯にその「ゴーヤ」がでた。
妻は体にいいからという。沖縄ではみんな食べてるから
長生きしてるんだと。
それは嘘だ。沖縄の人らが元気なのは
鶏の唐揚げを山ほど食ってるからだ。本土の人の何倍も。
毎日、泡盛飲んでるからだ。
そして、シメにステーキ食ってるからだ(情報元/ケンミンショー)
ゴーヤのおかげで、食がすすまなかった。
昔、子供時代、好き嫌いが多かった頃を思い出し、
懐かしかったわ。久々に「まずい」という感覚を思い出した。
妻よありがとう。
「まずい」というノスタルジックな思いと
腹八分目で箸を置いてしまえるこの健康管理。
体にいいかもしれないが、
心にはとっても悪い。
幸せの定義に一つ加えるならば、
ゴーヤを食べなくてもいい人生。
これを得意げに言う顔つきを「どや顔」ならぬ「ゴーヤ顔」という。
これを言いたかっただけか。
固有名詞は忘れても、ダジャレが言える幸せよ。
今朝方、某ローソンで、潔癖性の店員に出会った。
会計が525円だったので小銭530円を渡そうとしているのに
手を出さない。
何度も渡そうとするが手を出そうとしない。
再度530円を渡そうとすると、ついに
その女子店員は一瞬だけ受け取り、すぐにカウンターにその
じゃり銭をぶちまけた。
まるで、熱々のものを手にして、
それ以上持つと手に火傷するかのごとく。
もしくは、野良猫にシャケをあげようとした時に、
猫手でシャケをはたき落として、直接人間の手からは
えさを受け取らず、地面に落ちたものを拾って逃げる猫の
ごとし。
当然、釣り銭の5円とレシートも私の手に触れる事なく
5cm上から、垂直落下で私の手の中に入れてくれた。
昨今のコンビニで流行っている、両手で客の手を握るようにして
釣り銭をわたすに比べれば、天と地ほどある。
しかし、あれは気持ち悪いのでどうかと思っていたが、
これもどうかと。
「ねえちゃん潔癖性け?」「潔癖性がコンビニのレジやったら
あかんやろう!誰かにかわってもらえや!カッカッカッカ!」
とあえてゲビタ感じで、そうとも言えず、
店を後にした。
じゃり銭が汚いと思うのだろうか? いろんな人が触るからなー。
それとも、俺のじゃり銭が汚いと思うのか? 確かに500円玉硬貨茶色やったが。
金そのものが汚いと思うのか? 汚い稼ぎ方でも金は金じゃ、そこは割り切れコンビニ屋。
金属アレルギーか?狼女か? 手袋はめんかい。
いや、人間の肌と触れたくないのか? まあ、それも汚かろうなあ。
いや、おっさんの肌と触れたくないのか? わからないではないがな。
いやいや、太ったおっさんがピンポイントで嫌いなだけか? 我慢しろって。客やぞ。
それとも、熊がコンビニに来たと思ったのか? 服着て、眼鏡かけとるやろ!
でも、おもしろいからまた行ってみよう。
今度はこちらから手を触ってみよかな・・・
朝の楽しみ増えたー。
残暑のショートショートフラペチーノ 〜現代の怪談編〜
ゴルフ場について車のトランクをあけるとゴルフバッグが入ってなく
がらーん!としてた。キャー!
昨日トランクを整理したからだ。なれないことはするものではない!
マンションの6階から乗ってきた女の人に
「おはようございます」と挨拶したのに
何も言わず後ろを向かれた。キャー!
幽霊か?いや単にハッキリと嫌われてるだけだ。
問題は「なぜなのー?」
角煮ラーメンを食べて、角煮を噛んだら
ガリっと固くて、
しかも冷たいルイベの食感がした。キャー!
店員は交換してくれたけど、ずーっと今でもその食感は残っている。
焼肉店からユッケ、生レバー、生センマイが消えた!
高級店から大衆店まで全ての焼肉屋からだ。キャー!
お会計が結構安くなって、助かったりなんかして。
レイトショーで映画を見に行ったら観客は私を入れて2人しかいなかった。
でも、映画が終わった後は一人だけだった。キャー!
つまんないから帰ったでけだろ。自分も寝てたし。
「神戸」をパソコンで変換すると「頭」とでて、
「京都」をパソコンで変換すると「狂徒」とでた。
キャー!
でも、うまい!パソコンってやっぱり頭いい。
以上、残暑のショートショートフラペチーノでした。
昔から、のんきでほのぼのする話が好きだ。
深読みしすぎず、「な〜んだ、そうだったのか」
というようなある意味、素朴なオチがある話。罪のない話。
例えば、下を向いたまま、とぼとぼ歩いている人がいるとする。
それを見かけた友人が、
「元気がないなあ!暗いよ!金でも落ちてないか見てんのか?」
と話しかけると、
「いや〜昨日買ったばかりの靴がうれしくて、靴ばっかり見て歩いてるんだよ。」
とはにかんだ笑顔で返してきた。
こんな話だ。
見かけや印象でだまされるな。
物事の真理は意外なところにあるのだ。
誰だったかは憶えてないが、大昔の漫談家にして
パフォーマーのネタをひとつ。私がまだ子供の頃の話。
男が背中をこちらに向けて、小刻みに体を振るわせている。
見た目にはまるで立ち小便をしてるように見える。
その漫談家は「何をしているところでしょう?」
と会場に問いかける。
「立ちション」「立ち小便!」と会場から声がかかる。
漫談家はゆっくりとそのまま振返る。
その姿はなんと、札束を数えていたのであった。
ちょうど股間の所に札束を持ち、一枚ずつ数えていたのであった。
いい話だ。なんてことはないのだが、人の思い込みなんて
軽〜く、吹き飛ばしてしまうような話だ。
社長室に突然、入ってきた女子社員に
「えっ・・・社長、泣いてたんですか・・・?」
(何か深刻な事態でも?)
と聞かれたとする。
そんな時は「いやいや鼻毛抜いてたんで・・・ックション!」
と返そう。
「・・・でしょうね。」(汚っタネー!)と女子社員は納得する。
真実とイメージはいつも違うのだ。違わないときもあるが・・・
真理はいったいどこにある?