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よくできたもので、世の中には本当に
ちょうどいいサイズというものが存在する。
人それぞれの好みもあるが
私なんかは、吉野家でいうと「牛鍋丼の並」の
あのサイズがちょうどいいと思う。
値段と味とのバランス感に満足感をおぼえてしまうんだよ。
あくまで牛丼ではなく牛鍋丼の話で、しかも吉野家の話でだが。
牛鍋丼は一杯280円にして、牛丼とは違い、
しらたきと焼き豆腐が一つ入っている。
その焼き豆腐がうれしいねえ。牛とタマネギしか入ってない牛丼に
くらべて、焼き豆腐ひとつで随分と物語が広がる。味の層が厚くなる。
クローズZEROの鈴蘭高校のように層が厚いのだ。
シラタキに関しては、いたかどうかのさりげなさがたまらん。
謙虚さの美徳だ。今でも ん?本当にシラタキはいたのか?
と疑ってしまうくらい。
だからといってトッピングで焼き豆腐だけ追加するというのは
また別の話だ。焼き豆腐は一つで充分。
大盛りも牛鍋丼の場合はバランスガくずれるので並にすべし。
牛丼は大盛りでも特盛でも好きにすればいい。
ただ牛鍋丼は並でないといけない。
大盛りやメガサイズを否定しているわけではない。
腹八分目を推奨する気は今までも、この先もいっさいない。
クアアイナのハンバーガーも好きだし、
メガ盛りの次郎系ラーメンもこれでないと食った気はしない。
コーヒーは少し大きめのマグカップになみなみといれ
仕事しながら飲む。いつの間にか
仕事に没頭してコーヒーを飲む事を忘れてしまう。
まだ少し残っているにもかかわらず・・・
実はここが自分にとってコーヒーのちょうどいい量(サイズ)なのかもしれない。
コーヒーを飲む事に専念すればコーヒーを飲み切ってしまうところだった。
決して、その残った冷えたコーヒーは飲んではいけない。
ちょうどいいサイズ。
よくモニュメントや装飾で巨大なものをつくる事がある。
普通サイズのものを大きく造って飾ったり吊るしたりする。
えー、大きくして可愛くなったものはない。
たいがいが怖くなる。
巨大は巨大でも、かに道楽のあのカニはちょうどいいサイズだ。
もしも、あれの5倍くらいのカニを造ったら、人々は逃げ惑う。
ケンタッキーのカーネルもちょうどいい。
クリスマスリースやツリーは考えもので
ある大きさを超えると吐き気がするほど、不細工だ。
特にツリーのもみの木の葉っぱを通常のサイズのものを使用して
巨大ツリーを造ると、尺があってないのでグロテスクに仕上がる。
巨大ツリーならもみの葉っぱごと巨大化しないとバランスが悪いのである。
わかりやすくいうと、1000人分の巨大お好み焼きがどこかこわくて
グロテスクなのは、それにかける青のりとカツオ節が通常サイズ用のものを
かけているからに他ならない。青のりとカツオ節も尺を合わせて
巨大化すればもう少し見た目にはおいしそうになる。・・・か?
牛鍋丼の豆腐で思い出したが
昔読んだ、子供向けの科学の本で、「もし豆腐がビルディングぐらいの
サイズになったらどうなるか?」という空想上の挿絵が描いてあった。
それは豆腐がビルの狭間で自分の重みに耐えきれず、グニャリと真ん中で
折れ曲がっている世にもぶざまな姿であった。
そしてそれはとても怖い絵だった。
何事にもちょうどいいサイズがあるということで。
えーブログにもちょうどいい長さがあると思うので、
今日はこのへんでおしまい。