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あー、節電の夏・・・
政界が揺らぎまくりの夏・・・
んなことはどうでもいい。
今、一番気になるのは、もう7月も半ばだというのに
蝉の声が聞こえない事だ!
今年の夏は蝉が消えた?
暑苦しくなくていいけど、どうも気持ち悪い。
夏らしからぬ。
ニイニイゼミが消えてから何十年もたち、
最近ではあのアブラゼミがクマゼミに押され気味ときく。
地震の影響か?
蝉たちは恐れをなして、ブラジル側に逃げ込んだのかもしれないね。
夏に蝉がいないとなんだかセミシイヨ!
けんかの好きな奴は、
常にけんかすることを考えている。
格闘のシュミレーションを常におこなっている。
例えば、前から歩いてくる知らない男と
やりあったら、どう闘うかなどをいちいち真剣に
考えているに違いない。
髪の毛つかんだら動きを封じ込めれるかとか
まずピアスひっぱたら一発かなとか
サラリーマン相手ならまずネクタイつかんだら身動きとれない
とか、でもクールビズ仕様ではその作戦むりだなとか。
相手が3人なら、まず強そうな奴から一撃で倒すべきか
一番弱そうなやつを徹底的にボコって残りの二人を
ひかすべきか・・・
そうやって闘い方を想定するのは何も他人に対してだけではない。
友人や知人に対しても、「こいつとガチでやりあったら勝てるかな」
「体重差はなんとかスピードでカバーしてすね蹴りかなあ」
なんて中学生レベルのことを考えているから油断できない。
いい大人がそんなこと考えてるなんて気色悪いよな。友達なのに。
いやいや話が長くなったが、何かが得意な人というのは
(それは何かのプロといってもいいが)
常にイメージトレーニングして、人が普段考えつかないような
アイデアを淡々とストックしているのである。
けんか好きはけんかのやり方。
寿司屋さんは金魚とて魚を見ればいつも心の中でさばいているのである。
女の敵は女の襲い方を、クレーマーはクレームのチャンスを、
詐欺師は人をだます術を、ジゴロは金の貢がせ方を常に考えている。
常にそのことを考えている人には素人はかなわないのだ。
なんだか良くない例が多いが
つまり、プロと呼ばれる人はいつもそのことを考えている。
常に準備しているということ。
会社を良くする方法を常に考えている人。
世の中が良くなる事を常に考えている人。
世界の平和を常に考えている人。
人々の幸せを常に考えている人。
職業にもよるが、いつもそのことを考えている人はきっと
アイデアなりヴィジョンが豊富に違いない。
だから有事の時には体が自然に動くのだ。
行動にすぐ移せるのだ。
政治が仕事の人だっていろいろ考えているに違いない。
・・もし、考えてないとしたら、プロとは言えない。
いつもけんかすることを考えている人よりその部分では劣るのだ。
私はいつも何を考えている?
・・そんなの恥ずかしくて言えない。
あなたは常に何を考えている?
うーむ、最近どうも気になる。
会社でも、街角でも、市役所でも、
ちょっとした会合などでもそうだ。
コンビニ前やビルの一角でもそうだ。
なにやら、楽しそうに人が一所に寄り添って
井戸端会議している場面を見る。
しかも秘密めいていて、なんの話をしているのか
実に気になる。共通点はというとみんな口や鼻から煙を
くねらせている・・・
なんのことはない、喫煙場所のことなんだが・・・
ここまで、逆に社会的に喫煙家が排除されると
タバコを吸わない私などは
あの小さな寄り合いがかえってうらやましく思う。
ニヤニヤ笑いながら、いったいなんお悪巧みしているのか。
もしくは大事な情報をゲットしいるのか。
愛煙家どうしで他人でも仲良くなれる。それが自然でうらやましい。
ひとつのコミュニティだ。
妙齢の素敵な長い髪の毛の女性からライターなどを
借りたりしているではないか。
友人らしき男にたばこを恵んでいるではないか。
なんとも美しい友情であろうか。
グアムでおっさん4人でゴルフしていた時に
前の組に二人組の女性がまわっていた。
遠目にもはっきりと美人だろうなとわかる女性
たちであった。
すらりとした真っ赤なポロシャツのおひとりの
おねえさまが、なんと我々のカートまで
歩いてくるではないか!
何事か?何かわるいことでもしたか?
その女性は中国人らしきイントネーションで
「タバコの火ありますか?」
と聞いてきた。
残念ながら、我々4人ともタバコを吸わないので
「もってないです。ごめんなさい。」
と返すしかなかった。
単純にタバコに火をつけてほしかったのか、
何かの暗号だったのか、それとも心に火を
つけてもらいたかったのかは今となってはわからない。
最近は空港でもライター没収されたりで
火をもらう口実はつくりやすいしね。
まあ、やけどしなくて良かったけど。
ただ、たばこを吸わないというのは
割とつまらない人生だなあと、
そしてしばし何かを見失いがちな早足の人生かも
しれないとその時思った。
その思いが今蘇ってきた。
昨今のイケイケな会社とかでは
「営業マンは全員、タバコ吸いやがれ!そして、喫煙場所で情報とってきやがれ!!」
と上から活をいれられてるかもね。
先日、とあるお葬式に参列した。
ちゃんとしたお葬式会場である。
最後に棺の中に花を入れる時というのは
本当に感極まる瞬間であり、誰もが涙だせずには
いられない大切なシーンである。
その会場ではBGMには終始オルゴールの
インストルメンタルが流れていた。
当然お花をいれるそのシーンでも流れていた。
松田聖子の「スウィートメモリー」に続き、
流れてきたのが
なんとそれはEXILEの「chu chu train」であった。
なるほど、列車にのって天国へ行けってことか?
なかなか粋な計らいの選曲だなと思ったが
そのことを誰かに言いたかったのだが
そのタイミングがなかった。
かなりかなりかなり先になるが
私の時には少女時代の「Mr.TAXI」
もしくは原田知世の「時をかける少女」
でよろしくお願いしたいものだ。
ブログって便利。
「イケメン」って言葉がなんだかキモい。
決して妬んでるのではなく、拗ねているのでもない。
「イケメン」となんでもかんでもひとまとめで言い終わらせる行為が
どうも、知的でない。
ましてや「イクダン?」「イケダン?」
あー,日本人が駄目になっていく。
おばちゃんやおばちゃん予備軍たちが
「いやー、あの子、イケメンやん」
という響きの中に、そいつの人格を推し量ろうなんて気持ちは
さらさら見えない。体育会系だろうが、草食系だろうが
悪そうだろうが、貧乏でも、金持ちでも
みんな同じくイケメン。
無理矢理今時のワクにあてはめようという、
とても乱暴な思いが見えてくる。大味な表現、
そう、「マヨネーズいっぱいかけて」みたいな感じ。
それに比べておっちゃんたちの
「あのこ、かわいいなあ」
「乳でかい!」
「足ほそ!」
「べっぴんやなあ」
「歯並びがいいよな」
「コロコロしてかわいらしい」
「息子の嫁にしたい。」
「いや自分の嫁にしたい」
「いじめられたい。」
「月に2回ほどあってくれたら、お小遣いでもあげるのになあ」
「自分の娘として今度の日曜にディズニーランドいってくらないかなあ」
など表現にバラエティがあり
つめていうと、深い愛と思いやりが感じられる。
表現はなるだけ具体的に表現する事。
これが日本人の言葉の文化なのである。
「イケメン」とい言葉が
表現力をなくしていく・・・