忍者ブログ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

お盆も過ぎたというのに、少しゾーッとするお話。

 

世の中、霊感を感じる人と感じない人に大きく分かれる。

先日TVでSMAP草薙君が「僕,基本的には霊感ないですが、

頑張れば何か見えるような気がするんです。頑張れば・・・」

といっていた。

 

霊感のない人のほとんどがそう思っていると思う。

どこまでも自分を特別と思っている普通やろうめ。

 

私も霊感はない。あるのかもしれないが、ご先祖様あるいは

守護霊様が感じないようにしてくださっていると思っている。

はい。

 

私も48歳を越えて生きているが、

霊、お化け、妖精、河童、UFO、コロボックル、小さい侍、ヒバゴンらしきものを

見た事も、聞いた事も、感じた事も、そして取り憑かれたこともない。

 

よく、カラオケボックスとか小汚いトイレや怪しきビジネスホテルにいくと

ここには絶対なにかいる!何かおこる!と思っても、

特には何もない。

ビジネスホテルのTVをつけてボリュームを大きくすると

画面に「オンリョウ ダイ」と出て

「うわっ怨霊だー!しかも大!」とひとりボケするくらいの事。

 

てことはだ。

見る事も聞く事も感じる事もいっさいないのなら

それは、いないのと同じではないか?

 

ばい菌と同じ?

ばい菌がいっぱいついていても、

「汚いから」といっても、

何もおこらなければ、それはいないのと同じ・・・

 

では放射能は?

結果はしばらくかかるので、それもないのと同じ!

 

ちょいちょいちょい!

何も話さず、何も耳を貸さず、何の影響力もないのなら

それはいないのと同じ?

 

「それはお前だー!」(指をさして)

ギャー!

 

ゾーっとする話でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PR

どこかの科学者が言ってたが、

人間、探し物をしている時間と信号待ちしている時間は

一生に間で何百時間にものぼるどえらい時間だと。

 

確かに探す時間が無駄だから

日頃からの整理整頓であったり、無駄なものを捨てる

努力をしているのだが、探し物はいっこうになくならない。

 

でも、その都度、人間は知恵がつくもので、

最後に探す場所を心得ている。

 

最近の私のさんざん探して「もうここしかない!」という場所は

車のトランクの奥の方である。

 

「答えはいつも奥の方、車のトランクのズーっと奥の方〜!」である。

なぜそこから見つかるかというと、車の中に無造作に

置いていたものを、急に誰かを車に乗せる時に

ガサ〜っと全てトランクに入れてしまうからである。

 

その誰かをおろしたときに、トランクから出せば

いいものを、そのまま忘れ、ゴルフバックをその上に

入れて、さらにCOSTCOで買った飲料などを積むと、

最初に入れた探し物はずっと奥の方にいってしまうという

塩梅なのである。

 

じゃあ、最初にそこを探せばいいじゃないか!と言われるが、

さんざん探しまわってから、ようやくそこを思い出すのだからしょうがない。

 

しかし、探し物が出てきたときのカタルシスといったら尋常じゃない。

「後は、ここしかない!」とピーンときて

「ここだ!」と侍が天井の賊に槍をさす勢いで

トランクをあけて奥の方から出てきたときの

満足感というか達成感といったらこりゃもうたまらんのである。

 

その昔、学生時代、東京で一人暮らししていた時

定期入れをさんざん探しまわったあげく、ゼエゼエといった息を

整え、なにやらひらめき、「ここしかない!」と

黒電話を持ち上げて、その下から見事に定期がでてきたこともある。

その喜びったら、探し物をしている時間の無駄に充分匹敵するのだな。

※え〜、当時は6帖一間に黒電話を8mくらいのコードの長さで部屋の中に随時移動させて

電話していたのだ。これが一人暮らしの醍醐味であった。ハードボイルド感があった。

 

あと、夏の終わりに腕時計が空のティッシュペーパーの箱から

ころころと見つかった事もある。

ティッシュの箱の上に置いて、気づかぬうちに箱の中に

入ってしまったのだな。

なんとまあロマンティックな話ではないか。

 

ま,考えてみれば人間、一生何かを探しているんだけど、

見つからない事もよくある話で〜

 

現実問題としては、

なくしてしまったなら、むしろ永遠に見つからない方が

いいものもあるのだが・・・

 

 

 

 

 

 

 

 少し前に、今年はセミが鳴いてないと書いた。

マジで心配してた。

 

ところが8月に入り、セミが鳴く

私の心配事をよそに

セミは鳴きつづける。シャーシャーシャーと。

早朝からうるさい限りである。

 

どうもあのクマ野郎(クマゼミ)がいけない。

暑苦しいし、やかましい。

風情がない。見た目にデブで

飛んでる姿が不細工すぎる。

手の抜いた飛び方しやがって。(まあ、足しかないか)

  

セミの声を聞くと、小学生の頃の夏休みを思い出す。

夏休みが永遠に続くかのような生命力にあふれた夏色の世界。

私が育った大阪北摂はまだまだ雑木林や緑にあふれ

虫取りが好きな小学生の私にとっては昆虫天国だった。

そして、昆虫たちにとっては私に出会うと地獄だった。

 

何を隠そう、小学生の頃は昆虫を大虐殺していた。

そして、昆虫たちに悪魔の科学実験を冷酷無比に行っていた。

昆虫界からは、ちいとばかし恐れられた、まるきな独裁者だったのだ。

 

例えば羽のある昆虫の羽をむしるとどうなるか?とか

アリの巣の上でツイスト踊って何千匹踏み殺したり・・・

 

・・・はしょります。

 

この時代にこんなこと真似する人間がでてきたら困るので。

あくまで40年も前の出来事で、その頃の自然環境が今と

違うという事実がひとつ。

 

そして、子供は誰もがそういう時代を生き抜いてくるという

事実。だから、大人になって、生命の大切さや、不思議さを理解し

人への思いやりをもつ事ができる。

 

中学生の猫殺しとは少しニュアンスが違う。

 

現代は環境が変わり過ぎ、

昆虫を虐殺する事すらできなくなっている。

だから、子供たちはどこかひずんだ形で

命の大切さを知らずに育つのか?

 

アリを必死で踏み殺していた小学生の私は

確か、「命ってなんなのか?」「こいつら死んでどこにいくのか?」

「なぜアリの幽霊はいないんだ?」とか命について考えていたような

気がする。

 

「人を殺してみたかったから殺した」と答える殺人犯。

想像力がなさ過ぎだろう!

子供の時に、虫を殺して命の事考えたことないのかよ!

 

確かセミって地中で7年生きて

地上に出て7日で死ぬと聞いたが。

この儚いスタイルになぜか深い意味を考えてしまう。

 

だからセミって気になる!

たぶんセミは何も考えてないと思うけど。

 

でもアブラゼミに小便かけられるとマジにむかつく!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「いつもおいしいもの食べてはるのでしょう?」

 

私の体をみてかよく言われる言葉だ。

確かに、食べてないわけではないが、

食べたいものをいいタイミングで食べているかと

いうとそうではない。

 

なにやら会合やら、出席しなければならないパーティー

などで、高級風なものを食べさせてもらえるのだが、

それが本当にうまいのかどうかははっきりいってわからない。

実際、まずいものも多々ある。

 

いやいや、主催者の方、料理人の方、申し訳ございません。

そういう意味ではなく

高級とか美味であるという前に、

あるものを食べたい時にピンポイントでそれを食べる事ができる

喜びって格別であり、それにまさるおいしいものはないと。

そういいたいのである。

しかしながら、そのタイミングが年をとるごとに

少なくなってきたという嘆きである。憂いである。

 

家飯とて、食べたいタイミングで食べたいものが食べれるとは

限らない。むしろ、真逆で家飯の方がその希望は通りにくい。

 

若い頃なら、食べ直しと称して、二度目の晩飯を

他で食べる事もできた。ただ、若い頃は経済的に厳しく、

そんな無駄な事はやめようと押さえる事がおおかった。

 

年をとると、二度目の晩飯を

他で食べる事はまだ経済的には余裕なのだが、カロリー的には

とっても危険だ。命の問題になる。

そんなものが癖になったら一大事だ。

 

で、突発的に食べたいものって何なのか?

いつもおいしいと思うものって何なのか?

 

よく考えてみた。

それは焼肉とカレーとラーメンと餃子だ。

 

人間の欲って、知れてるよなあ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 ネクタイ地獄ってご存知だろうか?

 

言ってみれば「ほめ殺し」と少し似ている。

仮に誰かが「Aさんのネクタイいつも素敵ですね?」

とAさんを誉めたとする。

言った本人はそれこそ何ともなしに特にAさんの

ほめ所もなかったので、お愛想で言っただけにすぎない。

 

しかし当のAさんはそこからが大変だ。

「俺はいつもネクタイが素敵な男だ」と

勘違いしてしまうのだ。

 

毎日、締めるネクタイにかなり気を使ってしまう。

ついついネクタイ売り場にも足を運んでしまう。

なぜならば「俺はいつもネクタイが素敵な男だからだ。」

 

一度誉められた人に、再度会いにいく時など

朝、ネクタイ選びにおおいに悩んでしまう。

 

このネクタイは前にしてたから今度は

違うネクタイをしなければならない。

こんなダサイネクタイはできない!

なんかこのスーツには合わない!

狙い過ぎみたいでだめだこれは!

なぜならば「俺はいつもネクタイが素敵な男だからだ!」

 

こんな感じでネクタイ地獄は始まるのだ。

この地獄はかなり後を引き、ひどい場合は一生続く。

ネクタイにとらわれてしまうのだ。

 

このAさんを狂わしたこの人は何の気なしに

これといって誉めるところもないので誉めたのか?

それとも計算ずくで嫌がらせをしたのか?

・・・それとも本当にネクタイが素敵だから

発したのか?Aさんのことが好きで発したのか?

 

ノンノン!

そもそも、そう考える人がネクタイ地獄に陥るのだ・・・

 

ちなみに地獄はネクタイだけではない。

いろんな暗示をかける術、

感覚を麻痺させる術・・・

 

怖いことだ。

 

そんな地獄に落ちそうになったら

嫁のこんな一言に助けてもらうべし。

 

「そんなはずは絶対ないから!社交辞令を理解しろ!」

そして

「己を知れ!」

 

 

 

 

 

 

プロフィール
HN:
グリーンアートの社長です
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1963/01/23
職業:
会社役員
趣味:
整理整頓
自己紹介:
血液型/AB型 出身地/大阪府豊中市
カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
最新コメント
[08/26 いなかっぺ星人]
[05/15 まみ]
[04/17 大塚 真一]
[04/17 大塚 真一]
[04/16 1ファン]
カテゴリー
バーコード
フリーエリア
忍者ブログ [PR]
Copyright(C) イカリングのほくそ笑み All Rights Reserved